歴史的な試練を乗り越える知恵と進化
皆様いつもお読みいただきましてありがとうございます。 ワンスアラウンドが毎週お届けしている『現場マガジン』は、 文字通り我々が運営する《現場》発のホットな情報をお届けするメールマガジンです。
今週は、『マーケットレポート』の第9弾をお届けします。
コロナ禍でのマーケットの変化と、商業施設を中心とする現場の変化をタイムリーに捉えながら、 自らも現場を持つ弊社ならではの視点で、これからの時代へのヒントをお届けしたいと思います。
【Market Report vol.9】
コロナ禍でも成長を続けている企業に学ぶ
=着実に成長を続ける強さの源泉は?=
こんにちは!ワンスアラウンド顧問の馬場です。 前回のメルマガの最後に、群馬県に本拠を構えている「ベイシアグループ」を紹介させて頂きましたが、 都心から100km近く離れたところが発祥のチェーン店に元気な企業が多く、 業種的にも食品、家電、衣料品、ホームセンターと多岐にわたっています。 今回、埼玉県発祥の「しまむら」「ヤオコー」を加えて、コロナ禍の中でも好調、 かつ成長を続けている企業に共通する強さの源泉は何か?を少し掘り下げてみたいと思います。
そこでまず歴史的背景を見ると、徳川家康が1590年に江戸(現在の東京)に入り、 広大な関東平野での国づくりに着手し、日本橋を商人の街とし、そこを起点に五街道を通じて、 各地への「人と物の移動」がはじまりました。
そんな中で、群馬・埼玉という土地は、江戸すなわち現在の東京から100kmという距離感から、 江戸時代の昔から中心部の動きに直接的な影響をあまり受けることのない環境にあったことが、 独自の産業を興して育てる土壌を生み、さらにその後の交通の発達とともに 地元産業が発展するという歴史をたどってきました。
●地場産業の発達から世界水準の技術開発へ!今回注目した北関東エリアの群馬県は、今でこそ、スバルの富士重工やヤマダ電機など、 自動車や電機などが県内産業の主流ですが、戦前は、養蚕、製糸、織物という一連の蚕糸業が中心でした。 また、桐生では織物が盛んで、京都の「西陣」に対して、東の「桐生」と言われ、 長きにわたり技術革新を繰り返して確立された「ジャガード織」が特徴で、ファッション性も高く評価されています。 さらに、約100年前の1917年に起業した「中島飛行機」は、戦前・戦中の軍用機では世界水準であり、 戦後は、その技術が「富士重工業(スバル)」の自動車産業へとつながっていきます。 「しまむら」「ヤオコー」発祥の埼玉県の 小川町は、別名「武蔵の小京都」とも呼ばれ、 古くから「和紙」の町として栄え、昭和初期までは、 秩父、北関東を結ぶ川越、横浜ルート(日本のシルクロード)の 要所にあたり、和紙と絹、木材の市が立つ交易(商談)の場でした。 明治維新後の日本経済を支えた生糸産業をはじめ、 世界水準の技術が北関東のこの地にあり、 その起業及び技術開発の精神が今も脈々と引き継がれているのではないでしょうか? |
●鉄道開設の歴史では東京と一番早く直通で繋がる!
= 中山道幹線(現・高崎線)=
江戸時代、北関東からの人とモノの移動は、中山道での人馬と利根川舟運が重要な交通輸送機関でしたが、 明治に入り、鉄道の開設が経済発展に繋がり大きな変化をもたらしました。
富岡製糸場で生産された生糸は、鉄道で横浜まで運ばれ、その後、横浜港から海外に輸出されました。 鉄道開通は重要な位置を占めていたのです。
上野から高崎まで(距離108km)は、日本鉄道(民間資本)の力を借りながら1884年に全線開通しています。
東海道線の東京から神戸までの全線開通は5年後の1889年ですから、この中山道幹線(現・高崎線)が いかに重要だったか!が分かります。
運輸は、舟運から鉄道輸送へと変革することが 近代化の代表例として挙げられますが、 現在私が毎日利用している高崎線が国内で一早く北関東まで結ばれていたとは知りませんでした。
「ベイシアグループ」は、群馬県伊勢崎から発祥した企業ですが、 「しまむら」 と 「ヤオコー」は、群馬県の隣県・埼玉県の 小川町(川越市・東松山市の先)が発祥の企業です。 ■共通する背景「ベイシアグループ」は、1958年設立の 服地屋「いせや」が前身で、その後食品スーパーの「ベイシア」を中心に、ホームセンターの「カインズ」、 作業服の「ワークマン」を加えた3社が中核企業となっています。 「しまむら」は、1931年創業した「島村呉服店」が前身で、 1953年の法人化と共にチェーン化しています。 1960年代になると、小売業界では店舗の大型化と品揃えの総合化が進行し、 ダイエーやイトーヨーカドーが先行しますが、1974年に施行された「大店法」を受けて、 3社3様に「商品の絞り込みと業態の専門特化」を推し進めていきます。 です。 ■それぞれの経営スタイルと具体的な強さ3社の経営の在り方は根本的に大きく異なっていますが、それぞれが独自の 視点を持ちながら、決して無理をしないスピードで着実に成長してきました。 「ヤオコー」は、創業者の川野家の親子4代が事業承継してきたファミリー企業で、 店舗運営においては、同族のリーダーたちが、現場に権限を委譲する 「分権的な経営」を中心で支えています。 「しまむら」は、法人化した島村恒俊氏以降、 現在は5代目の社長ですが、血縁関係はありません。 店舗運営においては、徹底した「ストアオペレーションの標準化」を目指し、 効率的な情報物流システムが連動しています。 「ベイシアグループ」は、M&Aに一切頼らずに別会社化して、 自前での着実な成長路線を歩んでおり、 プライベートブランド(PB)中心の商品作りで他では買えない ユニークな商品と熱心なファンとリピート客を持っています。 |
<これらの企業から何を学ぶか?>
明治以降を歴史的にみても、大きな戦争や事変、災害など大きな試練が何度か襲っていますが、 先人達は知恵を出し合い、技術開発や革新を積み重ねながら、困難を乗り越えて来ました。
企業は創業者のフィロソフィーや後継者たちの考え方により、大きく変化しますが、 ここにご紹介した3社は、常に新しいことに取り組む「進取の気性」を持ちながらも、 「堅実な経営」をやり続けてきたことが、今日の成長につながっているのだと思います。
総じて、コロナ禍においても成長を続ける企業の強さの源泉は、
創業時の会社の理念を継承しながら、大きな転換期には新たなものに挑戦し続けて、 ピンチをチャンスに変えることだと言えるのではないでしょうか?
最後に、先月読みました吉野家・安部会長の著書「大逆転する仕事術」をご紹介します。
安部会長は「逆境の経営者」と言われていますが、上京後、 縁あって吉野家のアルバイトからスタートし、倒産を経験して42歳で社長に就任されます。 2003年に牛肉のBSE問題に遭遇しますが、 大胆にも自分たちの一番の強さである「牛丼」という商品を守る為に、 「牛丼をメニューから外す」という大胆な決断(約2年半販売中止)をして乗り越え、 また牛丼論争と呼ばれる熾烈な競争を先頭に立って戦い抜き、 65歳で後進に経営をバトンタッチされていますが、吉野家にとってのBSE問題は、 まさに現在のコロナ禍と同じ状況だったと思います。 安部会長は、著書の中で そして、最後は、 |
安部会長は、「対応」と「適応」の違いについて、次のように書かれています。
「対応」とは、自らの作業手順とは無関係に、お客様の動向に直ちに反応することが求められるが、 「適応」とは、「環境の変化を感じ取り、自らの意思で現在と未来とに変わっていくべき姿を選んでいく」という 主体的なもので、「自らの選択と意思」で未来を創っていく。
コロナ禍により、私たちは新たな適応を求められていますが、 自社及び自施設の果たすべき役割と方向性を再確認し、各個人は自分に与えられた役割を果たしながら、 これからも前に進みましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。
ワンスアラウンド株式会社
顧問
馬場 英喜