SC業界の半世紀の歩みと未来展望
皆様いつもお読みいただきましてありがとうございます。
ワンスアラウンドが毎週お届けしている『現場マガジン』は、 文字通り我々が運営する《現場》発のホットな情報をお届けするメールマガジンです。
今週は、『マーケットレポート』の第10弾をお届けします。
コロナ禍でのマーケットの変化と、商業施設を中心とする現場の変化をタイムリーに捉えながら、 自らも現場を持つ弊社ならではの視点で、これからの時代へのヒントをお届けしたいと思います。
【Market Report vol.10】
ショッピングセンター(SC)の未来を考える
こんにちは!ワンスアラウンド顧問の馬場です。
1980年代に「企業寿命30年説」が問いかけられましたが、 国内に本格的なショッピングセンターが出来てから半世紀が経過しました。
昨今では施設の老朽化に伴い「閉館」に追い込まれる施設も出ていますが、 耐震化構造のハード面だけが、原因でしょうか?
現在も継続しているショッピングセンターは、そこに強いリーダーがいて、 未来を見据えて、自らを変え続けてきたのではないでしょうか?
コロナ禍での時間の圧縮により、更なる変化への適応が求められています。 SCはどう変化してきたのか?と、今後についても探りたいと思います。
第1回
「SC開発と発展の歴史から学んだこと ~半世紀の変遷~」
早いものでこのマーケットレポート『市場の風』も、今回で10回目になりますが、 今回からは、私自身、前職時代から現在まで半世紀近くにわたり、 主に出店者として関わってきた体験を交えながら、 改めて、【ショッピングセンター(SC)の未来を考える】をテーマに、 数回にわたるシリーズ連載で掘り下げてみたいと思います。
そこで、第1回目は「SCとは?」の原点に帰り、日本におけるSCの歴史と変遷につきまして、 私自身が学んだことを含めて振り返ってみようと思います。 また、次回以降は、
■SC経営における法規制への対応と変遷について
■SCの運営方法の変化(商店会のあり方と今後)
■SCにおけるプロパティマネジメント
■withコロナ時代のECとの共存
などのさまざまなテーマで掘り下げてまいります。
1969年は本格的SCが登場するSC元年1969年は、日本国内のSC発展の歴史を語る上では、メモリアルな年であり、 この年の11月に、以下の3SCが開業しています。
その後のSC開発は、GMS、JR(国鉄)、不動産を軸に進行 70年代 さらに、駅ビルが日本独特のSC形態として発展してきましたが、 これを牽引してきたのが日本国有鉄道(現JR)です。 80年代 90年代以降 |
そもそもSCとは?
1973年に設立された日本ショッピングセンター協会は、「SCの定義と取り扱い基準」を次のように定めています。
◆SCは、自然発生的な商店街や、百貨店、スーパーマーケットのような
単体施設ではなく、1つの単体として計画的につくられた商業の集合体
SCは小売業?
SCは様々な業態の集積ですので、ディベロッパーの意思や経営理念によって、いかようにも姿を変え、 時代を反映したその時々の最適な業種の組み合わせとなります。
日本SC協会設立にも尽力された東神開発の倉橋専務は、SCで志向したのは、 あくまで「SC業という不動産ビジネス」であり、 「50年、100年後を見据えて所有不動産や二子玉川の街の価値を少しずつ上昇させることがミッションだった」と おっしゃっています。
従って、不動産業であるSCを運営するには、ディベロッパーとテナント間の 「マネジメントの考え方」が重要であり、前述した東神開発の倉橋氏は 「互助共存」の精神という日本独自の考え方を導入しました。
具体的には、ディベロッパーとテナントを「運命共同体」と位置づけ、 「共存共栄」「相互信頼」「自主性の尊重」を管理運営の基本3原則としました。
その精神はSC協会に今も受け継がれています
経験したこと。学んだこと。このように、玉川高島屋SCが開業して以来、半世紀以上が経ち、 日本のSCも大きな変遷を遂げてきましたが、私自身、テナント側として数多くのSCへの出店に関わったなかで、 経験し、学んだことを報告します。 ■施設内センターコートは集客のマグネット施設内のセンターコートに初めて遭遇したのが、1978年開業の池袋サンシャイン(アルパ)です。 しかし、開業後、NO.1の売上げ坪効率を上げたのは、 なんと「センターコートに面した店舗」(月坪効率300万超)で、その企業の店舗は今も残っています。 そこで、3年後の1981年開業の大型SC「船橋ららぽーと」(当時:現在の北館のみ)では、 サンシャインの経験と反省を活かしてセンターコート前に店舗を構えました。 軌道に乗るには少し時間がかかりましたが、予定通りの結果となりました。 この2SCを経験して、大型SCへの出店の場合は、 入口付近よりもセンターコート周りにお客様が集まる(とぐろを巻く)事を学びました。 ■周辺のファッションメーカーを巻き込み、開業2年後の構造改革を断行森ビルが街づくりの一環として1978年に開業した「原宿ラフォーレ」は、 不動産業ディベロッパーとして、「保証金+敷金、プラス賃料」という 普通の契約スタイルでスタートしました。
前職の会社も投資コストを掛けた重厚な店舗を閉め、 面積も小さくしたキャラクターズブランドの店舗に転換したことが鮮烈なイメージで残っています。 新規で開業した商業施設が、このような短期間で断行した構造変革に遭遇したのは、 後にも先にもこれが初めてでしたが、館長の強い意思(決断)と 推進にあたってのリーダーシップがあったればこそできたのだと思います。 ■SCの入口は、そのSC(館)の未来を語るショップであるべき前職の会社では、多くの店舗をSC(館)の入口に出店させて貰いました。 10年以上経過したお店の事例ですが、ディベロッパーから他区画への移転の申し入れを受けました。 オーナーは店舗賃貸借契約書における賃借権を主張して拒否しましたが、当時の営業本部長(現:弊社代表)は、 そのSC(館)が描いている5年後、10年後の未来像と、後継の候補テナントを確認しました。 そして、候補テナントが、その場所で展開した場合、これからのSC(館)の新しい顔として、 現在の自店よりも相応しいと判断した時は、オーナーを説得し、申し入れを快く受け入れて、区画移転に協力しました。 ディベロッパーから移転先として提示された代替区画は、館内では好立地の区画でした。 この場合、自己中心ではなく、そのSC(館)に来館されるお客様にとって、 どちらがお役に立てるか?が判断基準だったと思います。 |
<今回のまとめ>
日本に本格的なSCが生まれて半世紀 |
最後に筆者の独断をお許しいただき、今日あるSC業界においてのパイオニアを挙げるとすれば、 次の4人の各氏の顔が浮かびます。
■東神開発「玉川高島屋SC」倉橋良雄 氏
■パルコ「パルコ池袋・渋谷」増田通二 氏
■横浜ターミナルビル「ルミネ横浜」速水信一 氏
■三井不動産「ららぽーと船橋SC」江戸英雄 氏
各氏のリーダーシップで、「無から有」とも言えるSC形態を創り出していただきましたが、 この半世紀のSCの歩みの中では、大店法、都市計画法等の規制緩和や、 ディベロッパーとテナント間の出店契約書の見直しなどにより、SCの経営構造が変わり、 テナント運営のあり方も変わってきました。
今回のコロナ禍で、SCは「リアルとEC」について、如何にオムニチャネル化を推進させるか?が問われていますが、 次回以降も、様々な視点で、SCの未来に向けて考えてみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いいたします。
ワンスアラウンド株式会社
顧問
馬場 英喜