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これからの商業施設に必要な進化とは


鉄道会社と沿線の「まちづくり」


前回は、消滅可能性都市の指摘を受けながら持続可能な都市への転換に挑戦した豊島区の報告をしました。 鉄道沿線開発でのまちづくりにおいては、鉄道会社は大きな役割を果たしており、ともに大きく成長してきましたが、 コロナ禍により人の移動が減少し、今、大きな転換点を迎えています。

そこで今回は、鉄道会社と沿線まちづくりの経緯や実績について報告します。

鉄道各社は、鉄道収入減に見舞われています。
大手民鉄16社合計での2019年→2020年対比では、
連結決算の営業利益は、7081億円→▲3034億円と赤字に転落、
鉄軌道部門の営業収益は、1兆7179億円→1兆1699億円(前年比68%)と大きく減少に転じています。


関東・関西での主要企業の連結決算(営業利益)、鉄軌部門(営業収益・輸送人員)は下記の通りです。






各社は、悪化した業績の立て直しに向け、来春の運賃値上げを発表しています。
値上げは、上限許認可制ですが、JR東日本・東京メトロは、ホームドアやエレベーターの整備費用の 「バリアフリー料分」を上乗せして運賃見直しが出来る新制度の適用第1号としての取り組みを予定しています。

そんな中、今年1月に小田急電鉄が「小児IC運賃を全区間一律50円」にするとの発表があり、3月に踏み切りました。 小田急電鉄は、約2億5千万円の減収を覚悟で「子供運賃一律50円への値下げ」に踏み切っています。

鉄道網の充実と、「職場・住居」(職・住)の変化


江戸から明治に時代が変わり、1872年、新橋―横浜間の鉄道が開通後、国有と民間の鉄道網の更なる発展とともに、 沿線の「まちづくり」によって「職・住」が大きく変化しました。
1914年(大正3年)の東京駅開業に先立ち、三菱が造成した「丸の内」が誕生します。 江戸時代までは武家地と町人地が明確に区分され、明治初期の東京は日本橋・神田が市街地で商店と家が固まり、 人々は寝起きも仕事も同じ家屋の「職・住一体」が基本での生活スタイル、 もしくは近隣から徒歩で通う「職・住近接」が一般的でした。

それが、丸の内にオフィス街が誕生すると、生活スタイルとして「職・住分離」が進み、 電車で通勤という新しい概念が生まれました。
当初は丸の内からは、新宿・渋谷くらいまでが通勤可能範囲だったようですが、鉄道網が拡大するにつれて、 通勤圏はさらに拡大し続けました。

通勤圏の拡大は戦後も続き、持ち家神話が根強くなる高度経済成長期以降は、 不動産価格が高騰し、東京で戸建てを買うことは高嶺の花となりました。
人々の意識の中にも「ドアtoドアで1時間」が通勤の範囲と認識されるようになり、 サラリーマンの受け皿として、神奈川・埼玉・千葉ではニュータウンの造営や鉄道沿線の住宅開発が活発になりました。
これは東京に限ったことではなく、大阪・名古屋・福岡といった大都市近郊でも見られた現象ですが、 「職・住分離」においては、鉄道会社が大きく関係しています。

郊外沿線住宅開発(まちづくり)を支えた
鉄道会社のビジネスモデル  ―西の阪急・東の東急―


100年前からの鉄道事業モデルは今も健在で、大手鉄道事業者は鉄道の敷設だけではなく、 ターミナル駅での流通業(百貨店&SC)、沿線の住宅開発等の不動産業、郊外での遊園地等のレジャー事業が業績を牽引しています。



そのモデルは関西の小林一三氏が構築した「阪急電鉄」であり、 この事業モデルを東京に持ち込んだのは、「東急電鉄」だと言われています。



■東急電鉄の変遷



東急沿線のまちづくりは、1918年(大正7年)創業の田園都市株式会社(以下:田園都市会社)が始まりですが、 東急電鉄の創業は、1922年に鉄道部門が分離独立して誕生した目黒蒲田電鉄(目黒~蒲田間)をルーツとしています。
その後、池上線、玉川線、世田谷線、東横線を合併し、城南エリアに鉄道網を敷きます。 戦時下の1942年には、交通事業調整法に則り、現在の京浜急行電鉄、小田急電鉄と合併して 東京急行電鉄(東急電鉄)が発足し、その後1944年には京王電鉄、45年には相模鉄道の運輸管理を受託します。

*現在の東急電鉄と区別するため、当時の会社は「大東急」と呼ばれています。

結果として、国鉄(現:JR)中央線から東海道線に挟まれた地域の私鉄は大東急の所属となりましたが、 戦後になると、かつての会社ごとに分離独立する動きが現れ、 1948年に京浜急行、小田急、京王帝都の各電鉄会社が独立し、 東急電鉄には目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄、池上電鉄、玉川電鉄の路線が残りました。

戦後、東急電鉄は「鉄道と街を一体とした形で開発される多摩田園都市計画」を策定し、 神奈川県川崎市から横浜市にかけての田園都市線の建設と土地区画整理事業を進めていき、 田園都市線は溝の口駅から順次、西進しました。

1966年(昭和41年)に溝の口~長津田間が開通し、都心の渋谷に向けては 1977年(昭和52年)、渋谷~二子玉川間の路面電車が廃止され、代わって新玉川線が開通し、 自由ケ丘経由ではなく渋谷に直接つながりました。
そして、1984年(昭和59年)には、中央林間まで全通して小田急・江の島線とも繋がりました。

そして、東急多摩田園都市地域では、二子玉川、たまプラーザ、あざみ野、青葉台、南町田等に商業施設を展開し、 渋谷ヒカリエや二子玉川を始めとするオフィス物件や、田園都市線はもとより 大井町線沿線の住宅などの継続的な沿線開発を進めてきました。


私が体験したこと。


多摩田園都市計画の中での商業(SC)計画では、鉄道開業の16年後の1982年、 たまプラーザ駅前に「たまプラーザ東急SCと東急百貨店」が開業しました。

前職の会社は、「たまプラーザ東急SC1階」に出店しましたが、東急SCへの出店は、TOPからの出店判断物件でした。

「たまプラーザ東急SC店」は、当時の社会現象になったTVドラマ「金曜日の妻たち」の 撮影地になったという話題性もあり、営業実績はスタートから予定を上回る結果を出しました。

この出店を通して、商業施設は「まちづくりとの一体化」が重要であるという事を始め、多くのことを学びました。
当時のTOPは、東急電鉄の五島昇社長から、たまプラーザのマーケットのみならず、 沿線の住宅開沿発や流通の拠点を始めとした「まちづくり計画」を事前に聞いていたのです。

また、たまプラーザSCの初代総支配人・濱田達雄氏からは、開業後10年ほど経ってから、 田園都市線の住宅開発においては、先ずは駅前を開発し、次には徒歩圏20分の場所の住宅販売をし、 それから順次駅前に向かっての販売を拡大するというセオリーを聞きました。


見えてきたこと。わかったこと。


●少子高齢化対策の猶予はコロナ禍で大幅に短縮


6月初旬、厚生労働省から2021年(令和3年)の人口動態統計が発表されましたが、 それによると2021年に生まれた子ども(出生数)は81万1604人で、 前年比▲2万9231人で、6年連続減少とのことで、国の推計より6年も早く、 81万人台前半に突入し、少子化の加速が鮮明となりました。

日本の人口が1億人を切るのは、2049年と想定されていますが、これも早まるようです。
そして、この少子化による人口減少は、鉄道会社の経営にも影響します。

●東急グループは、
「まちづくり」を事業の根幹に置き、交通事業、不動産事業、生活サービス事業、 ホテル・リゾート事業の4分野で、地域のお客様の生活に寄り添っています。

2019年度の営業実績を見ると、
営業収益が最大なのは、生活サービス事業、
営業利益が最大なのは、不動産事業であり、
「交通事業(鉄軌道事業)がトップではない」
という実績となりました。

2019年、東京急行電鉄は、商号を「東急」に変更して、 これまで東急がメイン事業としてきた鉄軌道事業は、 分社・子会社化した東急電鉄に引き継がれました。
伝統ある「東急電鉄」の看板を「東急」に転換したのは、100年前の創業時の田園都市会社の理念、 「不動産業=まちづくり」という原点への回帰を目指して、 もはや鉄道が主体(主軸)のグループではないことを表明したのではないでしょうか?

●小田急電鉄は、
箱根という大きな観光資源を持っています。
前述のとおり、約2億5千万円の減収を覚悟で「小児IC運賃一律50円への値下げ」に踏み切りましたが、 沿線の少子化を見据えての子育て世代の定住を増やすという攻めの経営戦略に踏み込んでいます。

●最後に、
今回は、東急電鉄にフォーカスしながら、「鉄道と沿線のまちづくり」の関連性を見てきましたが、 「住居(自宅)」と「職場(会社)・学校」の間の移動を結び付ける鉄道が沿線開発を担い、 乗り換え拠点ターミナルや沿線ターミナルに「商業施設(SC)」を開発してきました。

ビヨンドコロナに向けたこれからは、自宅と会社・学校の間にあるSCが、 消費者にとっての「サードプレイス(3番目の居場所)」(ファースト:自宅、セカンド:会社・学校) となる戦略の強化が重要になります。

そのためには、ショッピングのみならず、その施設に「わざわざ行く目的・価値を如何に数多く提供出来るか」が課題となります。
例えば、公園に行く、散歩に行く、体操教室に行く、催事やイベントなどが開催されているなど、 お客様が様々な生活シーンの中で価値感を感じられる事を実現することが、競合施設との差別化になるのではないでしょうか?

具体的な施設としては、5月にご紹介した渋谷区の「MIYASHITA PARK」、 立川市の「GREEN SPRINGS」や、東急・南町田の「グランベリーパーク」、 そして4月に開業した「ららぽーと福岡」や「亀戸クロック」などがあげられます。

従来の商業施設の多くは「ライフスタイル提案」をキーワードとしていましたが、 これからは、消費者にとってのサードプレイスとして、 「生活シーンを提供する場所」に進化することが求められているのではないでしょうか?

SCに求められる社会的役割を、生活シーンの中で「便利で楽しいと感じて貰える施設への進化」において、 未来にむけた価値を創造し続けていきましょう。

馬場 英喜
馬場 英喜
ワンスアラウンド株式会社 顧問

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